東京ウォークにうってつけの日

a perfect day for tokyo-walk...

ランナーになる日

初めて公式のレースに参加した。

それまでは楽しく走ってきたけれど、レースのための練習は楽しくはなかった。いつか走るフルマラソンのための練習は、気楽に楽しめた。10キロでも20キロでも、サブ4が達成できるペース、キロ5分40秒前後で好きなように走り続ければよかったし、それで満足して走っていた。

でも、10キロをそれなりのタイムで走るためには、息が切れるくらいのペースで練習しなければ意味がない。6分/キロのペースでは練習にならない。10キロという距離では、スタミナよりも心肺能力がものをいうのだ。そして、息が切れるくらいのペースというのは、あたり前ながら走るのが苦しいペース、ということでもある。練習が苦しかった。

レースの数か月前、目標タイムを49分に設定した。その時の自分の走力と、一緒に走る元クラスメートの女の子たち(元クラスメートの女性はいくつになろうと女子であり、女の子だ)に対する見栄のようなものをうまく利用できたらという目論見が合わさってできた目標だった。その時点ではそんなタイムで走ることはできなかったけれど、数か月あればどうにでもなるだろうと楽観的に考えていた。俺は49分以内に走ります、と宣言した。宣言したが、練習が苦しかった。練習量は順調に減っていった。

レースの前日になり、目標タイムをさも最初からそうであったかのように51分に変更し(見苦しい)、レース当日にはさりげなく50分に変更した(見苦しい)。誰にも何も言われなかったのは、女の子(女子)が優しかったからかもしれない。運が良い。あるいは呆れていたのかな。

でも、レース前の1週間は、練習が楽しくなっていた。ジムでの練習はやめにして、山手通り沿いに10キロほど走ることに決めた。本番ではランニングマシンがペースを維持してはくれないのだ。自分でやるしかない。できるだけ当日と同じ格好をして、ペースの確認をしながら走った。

それでも走力は向上していた。なんとか50分前後では走り切れそうだ。住宅街を抜けるときには、どこからか石鹸やシャンプーの匂いがした。通り沿いのラーメン屋からはラーメンの匂いがした。叫び声をあげて笑っている酔っぱらった二人組の学生を追い越した。道路にはひっきりなしに車が走り、信号で止まらなければならないのは興ざめだった。大通りの交差点の信号を従順に待つ僕の背中を、警官が見つめた。久しぶりに走る夜の街の空気は冷たかった。もうすぐにレースだと思った。何度も。

当日の戦略。前半は5分数秒のペースで走って体力を残す。後半はキロ5分で走り、最後の1,2キロで前半の数十秒をもしも取り返すことができれば、俺は50分で走れる。

 

走り終えて、これで俺もランナーになったなと思った。

僕がランナーになった日は、2018年3月18日だった。