東京ウォークにうってつけの日

a perfect day for tokyo-walk...

登山とランニングと音楽 201806 ‐ 07

6月は90キロ走り、7月は20キロ走って大菩薩峠を登った。

走行距離が少なくなっているのは、音楽を作っていたからだ。また機材を買い揃え、2曲3個を作って投稿した。サカナクションの三日月サンセットのコピーとオリジナルを1曲。三日月サンセットはVOCALOIDで作ってから自分でも録音したから2曲になった。出来は悪くないけど、全然再生されない。知名度がゼロなんだから当たり前だとはいえ、三日月サンセットはいい出来だと思うんだけどな。

VOCALOID初音ミク)の打ち込みをするのは初めてだったけれど、思っていたよりも手間がかかる。とてもめんどくさい。

いい年して俺は一体何をやっているんだろうかと思うけど、やりたかったんだから仕方がない。月に1曲を目標にがんばろう。やるからにはきっちりやりたい。

しかしこんなことでフルマラソンは大丈夫なのか?大丈夫じゃないよな。

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さいたま国際マラソン

さいたま国際マラソンにエントリーした。

手続きの最中には「走りたいけど走りたくない」という何とも言えない気持ちがしたけれど、エントリーしてしまったからにはやるしかない。

サブ4は最低目標、あとはサブ3.5にどれだけ近づくことができるかというのが目標だ。持久係数を使って計算すると、10キロ47分の走力の場合、フルマラソンのタイムは3時間50分ということになっている。フルマラソン(しかも初めての)はなぞの係数で換算してその通りになるほど甘くはないだろうけれど、しかるべきことをしかるべくこなせば4時間は切れるはずだし、その自信もある。3時間30分にはどれだけ近づくことができるだろうか?わからない。

いずれにしても勝負は直前の数か月になるだろうなと思う。今から力を入れて準備しても、12月までは持たない。しばらくはのんびりと走りたい。

ラン&クライム201804

4月は25キロしか走らなかった。仕事柄忙しい時期ということもあるし、レースが予定されていないとなかなか走る気持ちにもなれなくなってしまった。

その代わりということでもないけれど、筑波山関八州見晴台を登った。

秋が来るまでは、ジムと登山と、あとはボルダリングでもやろうかなと思っている。

ラン20180327

自宅から渋谷まで往復22キロを走った。走るのはレース以来ほぼ10日ぶり、20キロを走るのは数か月ぶりだ。16キロを過ぎたあたりで完全に足が死んでしまって、キロ6分程度でしか走れなくなった。こんなことではフルマラソンを走り切ることはできない。

今後はハーフやフルマラソンのレースを見据えて練習することになるから、スピードを伸ばす練習はあまり必要ない。基本的には長い距離を走ることになる。10キロはアディゼロジャパンを履いて走ったが、同じシューズで20キロ以上を走ったら、僕の走力では膝が壊れてしまうかもしれない。筋持久力がつくまでは当面ファンラン用のシューズを使用する。

鎌倉アルプス

鎌倉アルプスを登山した。登山というよりもハイキングだ。

途中で道に迷い予定が狂ってしまったけれど、天気は良く楽しかった。今回は何匹かのリスを見かけた。住宅街の中にある小さな山で、彼らはどうやって暮らしているのだろう?

帰りは神保町に寄って、雨具と日除けの帽子と28Lのザックを買った。来月は筑波山だ。

ランナーになる日

初めて公式のレースに参加した。

それまでは楽しく走ってきたけれど、レースのための練習は楽しくはなかった。いつか走るフルマラソンのための練習は、気楽に楽しめた。10キロでも20キロでも、サブ4が達成できるペース、キロ5分40秒前後で好きなように走り続ければよかったし、それで満足して走っていた。

でも、10キロをそれなりのタイムで走るためには、息が切れるくらいのペースで練習しなければ意味がない。6分/キロのペースでは練習にならない。10キロという距離では、スタミナよりも心肺能力がものをいうのだ。そして、息が切れるくらいのペースというのは、あたり前ながら走るのが苦しいペース、ということでもある。練習が苦しかった。

レースの数か月前、目標タイムを49分に設定した。その時の自分の走力と、一緒に走る元クラスメートの女の子たち(元クラスメートの女性はいくつになろうと女子であり、女の子だ)に対する見栄のようなものをうまく利用できたらという目論見が合わさってできた目標だった。その時点ではそんなタイムで走ることはできなかったけれど、数か月あればどうにでもなるだろうと楽観的に考えていた。俺は49分以内に走ります、と宣言した。宣言したが、練習が苦しかった。練習量は順調に減っていった。

レースの前日になり、目標タイムをさも最初からそうであったかのように51分に変更し(見苦しい)、レース当日にはさりげなく50分に変更した(見苦しい)。誰にも何も言われなかったのは、女の子(女子)が優しかったからかもしれない。運が良い。あるいは呆れていたのかな。

でも、レース前の1週間は、練習が楽しくなっていた。ジムでの練習はやめにして、山手通り沿いに10キロほど走ることに決めた。本番ではランニングマシンがペースを維持してはくれないのだ。自分でやるしかない。できるだけ当日と同じ格好をして、ペースの確認をしながら走った。

それでも走力は向上していた。なんとか50分前後では走り切れそうだ。住宅街を抜けるときには、どこからか石鹸やシャンプーの匂いがした。通り沿いのラーメン屋からはラーメンの匂いがした。叫び声をあげて笑っている酔っぱらった二人組の学生を追い越した。道路にはひっきりなしに車が走り、信号で止まらなければならないのは興ざめだった。大通りの交差点の信号を従順に待つ僕の背中を、警官が見つめた。久しぶりに走る夜の街の空気は冷たかった。もうすぐにレースだと思った。何度も。

当日の戦略。前半は5分数秒のペースで走って体力を残す。後半はキロ5分で走り、最後の1,2キロで前半の数十秒をもしも取り返すことができれば、俺は50分で走れる。

 

走り終えて、これで俺もランナーになったなと思った。

僕がランナーになった日は、2018年3月18日だった。